
今年の2月、マッチングアプリに初めて手を出して「再婚活」をした。
37歳で離婚をしてから10年、女独りと保護猫・保護犬との暮らしを楽しむ中で「男手があったら……」と思うシーンに出くわすたびに、かつての結婚生活や元夫に感謝の念がわいた。
「独り暮らし」だから分かった男手のありがたみ

「ありがたみ」をしみじみを感じた10年間。
この10年間があってよかったと、痛切に思う。
なにかにつけて、男なんだからして当たり前、女なんだからされて当然なんて横柄な人間ではないと自分では思っているけれど、
そういった尊大さがゼロであるか? と問われたなら、決してゼロではないと認めざるを得ない。やっぱり、女性である自分に甘えていた部分や利用していた部分があると思う。
横柄でも横暴でもなかったと思いたいけれど、相手の痛みに寄り添ったり口先だけでない心からの感謝を常に持っていたかといえば、残念ながらそうではなかった。
だから、家族暮らしでもない"完全な独り身"の10年間で「ハッ……」と立ち止まることは少なくなかった。
- 電球ひとつ換えるために、重い三段脚立を引っ張り出す時。
- エアコンがふいに止まって水漏れが起きた時。
- 段ボールの束をゴミに出す時。
- クリスマスを終えた混み合うスーパーで、年末年始用の食材をまとめ買いし"重すぎる買い物袋"を両手に食い込ませて帰る時。
- ちょうど届かない背中の真ん中に湿布を貼る時。
- 万が一にも"ロックがかかってしまったら危ないから"と、浴室のドアやお手洗いのドアを常に少し開けたまま利用している時。
- 深夜3時に鳴るインターフォンに怯えた時。
「男手があったら……」な場面は、独り暮らしをしているとあんがい多い。そのたびに「ありがとう、ってちゃんと伝えてきただろうか。口先だけじゃなかっただろうか」と過去の自分を振り返ることができた経験はかなり貴重だ。わたしには必要な時間と経験だった。
バツイチ同志、40代・50代の出逢いのメリット

病気やケガをした時にしか、人間は健康のありがたみに感謝しないと言われているが、まさにそれと同じ。
ひとりでもなんとか出来るしなんとかやってきたけれど、たいていの『足りない痛みはお金で解決できた』けれど、ありがとうと言える誰かがそばにいてくれる幸せって、本当に幸せなことだったんだな。
「ありがたみのありがたさ」を痛感してからの出逢いで本当に良かったと、今、心の底から思う。
自分が健康で、フットワーク軽く動ける時や仲間もそれ相応の時は気づけない。自分の為に、自分との暮らしの為に、時間を割き・骨を折り、足りないところを補ってくれる人のありがたさ。
アラフィフにもなると人は常に満身創痍だ。それでも、補ってくれる。補おうとしてくれる。これをありがたいと思わなければ、大きな罰が当たる。ほんとに。
そうして――。
若いうちは「相手に好かれたいから優しくする」ことも少なくない。相手の為でもあり、自分の為でもある。それがいけないことではなく、見返りをどこか求める優しさだったりする。
年齢や経験を重ね「独りで暮らした経験」が加わると、コレを先にしておかなければ後々面倒になるといったことを知っている。それゆえちょっとした気遣いや優しさが方々に散りばめられる。
たとえばそれはほんの些細な、食べ終わったお皿をシンクに下げて水に浸しておくといったような小さなこと。でもそれがあるのとないとのでは、全然違う。
たとえば、トイレットペーパーの芯交換が面倒だからと"役に立たない数センチ"を残したまま出てくるなんてことをしなかったり。
名もなき家事の面倒くささや厄介さを知っているだけに、その手間を相手にかけないように先回りの優しさを見せてくれる。
出番を長らく待っていた心からのありがとうを、素直に口から出せるようになったわたしも、同じように優しく在れていたらいいのだけど、現実はそうそう理想通りにまろやかにできてはいないみたいで――😜。
