
「晴れの七夕は久しぶりなので、今夜は願いごとが叶いやすいそうです」――彼とわたしがお別れしたことなど知らないはずの、地方局に勤める部下からLINEが届いた。
時計を見ると22時を過ぎていた。
迷うと手が止まってしまそうだったから、傍らにあったメモ帳を破りピンク色のペンで「素直に謝れますように」と縦書きをした。左に寄せて書いたせいかやけにバランスが悪い。
空いたスペースに水色のペンで「彼が犬を飼えますように」と書きたして、物干しざおにマスキングテープで貼り付けた。
3年ぶりに気になる男性が見つかったという、日本海側に暮らすずいぶんと年下の元部下に「晴れの七夕は久しぶりだから、今夜は願いごとが叶いやすいらしいよ」とLINEリレー。
40分後、彼女から「私と先輩たちの願い事が叶いますように」と書かれた折り紙でつくった短冊と、美しい天の川の写真が届いた。
果たして願いは叶うだろうか。
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これまで生きてきて、誰かとの復縁を願ったことはなかった。熟考に熟考を重ねてお別れをするのだから、復縁を願うなんてなんだか失礼な気がした。
人と揉めたり喧嘩をするのは苦手だから、言葉や態度で傷つけあうような真似はせずに、退去する部屋の鍵を最後に閉めるみたいに、後ろ髪をひかれる思いもあるけれどもう二度とここに戻ることはないと振り向かず、ひとつひとつの恋愛で役目を終えてきた。
彼に謝りたい。
でもそれはあまりにも自分勝手なのでは?
謝りたい、けれど復縁を自分が願っているのかどうか、わからない。復縁を願わないなら謝らなくてもいいのでは?
もしも彼にまだ思いがあるのだとしたら、「謝りたかったから」と近づくことはもう一度、彼に嫌な思いをさせてしまうことなのでは?
わたしは? わたしは? わたしはどうなの?
15年近くともに暮らした元保護猫のニコを失って間もないわたしに、デリカシーなく「新しい子を飼えば?」と彼は言ったわけじゃないだろう。※少々言葉足らずだとは思うけど
わたしの愛犬ビーと接するなかで犬を飼いたくなった彼に「あなたが運命を感じた犬に会いに行くとき、わたしも同伴したいな。新しい小さいわんこに触れてみたいな」と言ったわたしの思いに彼は寄り添ってくれたはずだ。
毒母から罵られて気が滅入り、正常に物事を判断する能力が失われていたあの日のわたしは「新しい子を飼えば?」――彼の発言のこの部分のみに過剰に反応してしまった。
冷静に前後の脈絡を見てみれば、悪意もなければ
(言葉足らずではあれど ←二度目) 配慮に欠けた発言でないことだってわかるのに。
家族を失うつらさをよく知る彼が、考え無しにそんなことを言うはずがないと、ふだんのわたしならすぐに分かったはずなのに――。
謝るためにもう一度接触を試みるなら、復縁も辞さない覚悟で挑まねばならない。でもそれはわたしの一方的な覚悟であって「君なんてもう要らない」と言われるかもしれない。
そっちの覚悟、つまり振られる覚悟はあるのか、わたしは。
うーん。
振られるのは嫌かもなあ。
自分勝手なのは百も承知だけれど、振られたいか振られたくないかといえばそりゃ振られたくはない。でもまあ酷いことをしたのはわたしの方なんだから、それだって甘んじて受けいれなければなるまい。
……久しぶりにやってみるか。
困った時にわたしが頼りにするようになったもの。
はい! せーの!
\タロットカードリーディングー!/
その通り。「復縁 タロット」でyoutube内検索をかけると出るわ出るわ、復縁・再燃タロットリーディング。世の中こんなにも、それを願っている人がいるのね。
無数にある復縁タロットリーディング動画から「ピン!」ときたものひとつに、この先の運命をお任せしよう。
ピンとくるもの、ピンとくるもの。
YouTube占い動画のひな型でもあるのか、似たようなサムネイルの復縁動画があまりに多い。その中でひとつ「ピン!」ときたわけではなく「なんだこりゃ」と思ったものが目に留まった。
「このタロットに運命は任せたくないけれど、動画は見たい。気になって仕方ない! ちょっとだけ! 冒頭の5秒程度だけ!」
再生 → オペラ歌手のような女性がいきなり歌いだした。
どうしたー!?
なんで歌うの、どういうつもり? いや、ほんまに!